2016年9月5日月曜日

YU-NOがこの世の果てで恋を唄う少女ならば、私は一体何者か。

時々、思い出したようにYU-NOの曲を聞く。FM音源のものを。

あれをプレイした当時は、ものすごい衝撃であった。これ以上のアドベンチャーゲームをプレイできることはないだろうとも思った。そして、様々なプレイしていないものにも、プレイしているものにも申し訳ないが、未だにその思いは覆されていない。そもそも、私自身が既に年齢を重ねすぎた、というのもあるが。

ひまわりはストーリーこそ凄いなと思ったが、システムはやはりノベルであるし。肩を並べる可能性があると思っているシュタインズゲートも、前述の理由やハードの都合や宗教上の理由でプレイしていないし。正直、もう、それなりに重たいゲームをプレイする余力がないのだ。

そんな状況でも、艦これや天鳳やスパイダーソリティアはやれているので、ゲーム自体と離れているわけではない。今でもプレイできるゲームがあるのは幸せだ、とも思う。しかし、それは過去の自分の向き合い方とは異なっていることは否めない。



さて、リメイクされるというYU-NO。ツイッターである程度話題を追うことにはなると思うが、自分は前述の理由やハードの都合や宗教上の理由で、積極的にプレイしようと思ってはいない。かなりの偶然が重なり、たまたま機会を得られたらプレイするかも、くらいに思っている。

というか、リメイクだろうがなんだろうが、今発売されるゲームは、今の世代の人のものであり。オリジナルのYU-NOは、既に消え去ったメーカーのものであり。自分が語るのは、それの思い出であり。どれだけ思い入れがあったものであっても、今の私にとっては過去となっている、ということだ。

そして、否が応にも毎日の生活と折り合いをつけなければいけない私がいる。食うためには、たまに御法に触れることもしなければいけないかもしれない。私は、この世の中で地獄を見届ける中年、だ。